@ 申の諺(サルのことわざ)
日光東照宮の重要文化財建築、神馬の厩に有名な猿の彫刻があるのをご存知かと思います。
「猿の一生」の部分ということですが、例の「見ざる、聞かざる、言わざる」が長押の部分に彫刻されています。
昔から、余計なことを見たがる、聞きたがる、見たがる、はしないほうがよいとされていました。
もとは「孔子語録」の三ケン」から出た諺で、処世上の知恵と思われます。
西洋で、「好奇心の強い猫はけがをする」といった諺があるのもうなずけます。特に封建時代の女性は、自分の意見を言わないのが無難ということでした。けれど、現代ではこれではいけないと思うことがあまりにも多い世相です。
年齢を積み重ねて思うことですが、家族や生徒に当たる人に対しては、「見ざる、聞かざる、言わざる」を反対にしてみてはどうかと思っています。
近頃は家にいても例えばテレビなど視るものが多く時間があれば視たいものです。ラヂオは聞いておきたいものもあります。これらの受信のほうは楽ですが、、「言う」のは難しいことです。
「見たい、聞きたい、言いたい」。これらを考えてみたいと思っています。
他人の立場を察しながら言うべきことは言うようにするのが親切ではないでしょうか?しかし、素直に耳をかす若い人でないと、つらい想いをするのは自分のほうです。
これだけは口にしないのがよいとされていることを思い出しました。異国人ばかりが集まるパーティーなどでの会話には、触れていけない三つがあります。お互いが相手の国やその家族の「宗教、経済的な事情、そして政治問題」には立ち入らないように気を付けるのです。これらは国際的な常識なのですが、どこまでが常識化を見失う人が多くなりました。
「知らぬ顔」で通すのも場合によっては安全ですが、それでは、後輩の躾ができません。近頃は目についたことを注意するようにしています。しかし恥をかかさぬよう人目のつかない場所で、本気で言いますと、若い人は初めて知ったことなら素直に聞いてくださいます。
抽象的なことばかり言いましたが、私の立場で言えるのは、やはり衣服のことで、手軽に直せることからアドバイスします。
例えば半襟に濃い色物を使うのが流行と思っている人や、帯揚げ帯締めが全く不釣合いとか、帯の格が合っていないなど、次にはこうするとよいと助言するようにしています。すると次に逢うと見違えるほどすっきりして、若い人も自信がつき、和装の取り合わせの楽しさを知るようです。
老人の場合は「知らぬが仏」という言葉がありました。去年のこと、親しい知人の家で少々問題がありました。その夫人はため息とともに、「老いた実母には聞かせたくないので、何も言わないことにしました。聞かせたとしても、どうにもならないことですから。つらい思いをさせるよりも、昔から言うように、知らぬが仏です。何も聞いていない老母は郷里で平和な顔をしておりました。
思慮深い人の話でした。
何につけても反対論を出す癖の人もいます。なんでもごもっともという人もあるようです。世論のことは本当はどうなっているのか、老人になっても好奇心を持ち続けるのがよいと言われるので、猿の諺にもの申しました。
今回は興味深い話を記したいと思います。
日本和裁新聞の載った 奥技の細道L・・・中村高次郎先生のお話です。
夏着尺いろいろ
36〜37歳から40歳くらいまでの女の人で、よく小千谷縮や越後上布、薩摩上布などを着ている人がいるが、それらはあくまでも中高年以上の年齢の人の着るもので、どんなに大柄なものがあってもほしがってはいけない。
これらの縮みや上布はもともと男物であって、一例をあげれば、薩摩上布などは最近こそ無理に金をかけて織らせている。
上等物には一幅に二百山という細かな紋絣を織り込んだものや、できるだけタテ・ヨコの糸を細かくして、しごけば五円玉の穴に通るなどと宣伝したりしている。
ひと昔の薩摩上布は今よりまだ粗い位の生地で、柄もごく簡単なものであった。それを夏の夜などに、男が下に何もつけないで素肌に来て、そのひんやり感を楽しんだもので、こんなことはどう間違っても女の人のすることではない。
夏の生地にはいろいろなものがあるが、絽縮緬の方をお薦めしたい。どうも一般に平絽というのが多く愛用されているようだが、この平絽は羽二重の糸で夏向きに織り上げたもので緯糸は撚りがないので、これは撚りをかけずに「打ち込む」と言っている。そのために染める時も、「上ずれ」とか「かまずれ」という絞り方をする。
一方、絽縮緬のほうは一見ちりちりとしているが、縮緬糸を機(はた)で織ったものであるから、タテヨコともに糸が十分に撚ってある。つまり、タテヨコともに撚りがよくかかっているので、染め替えがよく利くのである。
ただし、絽縮緬は真夏の物ではなくて、6月頃の物という人もいるが、そんなことはない。
そのような順序で着てゆくと、しまいには裸になってしまう。実際に着てみれば判る。
汗取りを用意した上で着るとすれば、真夏の絽縮緬でもただの縮緬と同じで、熱いの涼しいのとの違いを肌に感じることはない。明石ちぢみは少し汗のシミが出た時に落ちにくいのが難点である。
ついでに平絽は仕立ても着付けも嫌な袋になりたがるところがある。
C はおるもの
羽織は、男性の場合は「黒羽二重地五ツ紋付羽織袴」が礼装です。女性の礼装には羽織を着ません。昔の身分の高い女性には、打掛がありました。男性用の羽織を女性が羽織るようになったのは江戸後期、深川芸者が男物のような黒羽織を着始めたからだと伝えられています。
ところが五十年ほど前のことですが、いわゆる戦後の「PTAルック」と呼ばれる黒羽織の流行がありました。
子どもの成長を祝う行事の、お宮参り、七五三、入園、入学式などの時に、若い母親が一つ紋付の黒羽織を着たものです。羽織下の着物は色無地や江戸小紋でした。
まるで制服のように黒羽織を羽織ると、改まった感じになるのと、周囲の人と同化した気分になるのでしょうか、黒羽織は重宝なものとして流行しました。着物に帯付きが派手すぎては学校行事にふさわしくないと、当時は控えめな遠慮深い母たちであったように思われます。
黒以外の羽織は、無地や小紋染、絞り染、紅型染風の街着用が多く、帯の結び方が多少は崩れても羽織に隠されるという安心で、若い人も冬の外出には必ず羽織を着ました。
羽織丈も今思うと長めで、やぼったい姿であったかもしれないのですが、誰もが長いめなら、同じようにしている方が目だたなくてよいと考えたようです。
近頃、アンティーク着物を着て歩く若い人を見かけますが、色柄を見ると古さがわかります。羽織丈の長いのが今日の背の高い人にはちょうど良いのかもしれません。
正式な席では羽織は着ませんから、冬になればコートを用意することになります。今では防寒のためのコートではなく、帯の汚れを防ぎたいのと、肩のあたりに何かを羽織りたいというコートです。
そういう道中着のコートを、近頃では脱ぐ手間を惜しむ人が多いように見受けます。百貨店の食堂やレストラン、またはホテルのティ−ルームなどで、着物のコートを着たままで食事をしておられるようです。ファーストフードやチェーンのコーヒーショップの手軽さに慣れてしまったのではないでしょうか。店の格にもよりますが、コートを袖たたみにしておいている人を見ると、ほっとします。
「はしたない」という言葉で叱ることが少なくなりました。みっともない、ぶしつけなとか、慎みがない時などに言いました。「はしたなし」は源氏物語にも枕草子にもたびたび出てきます。若い頃、「はしたないことでお許し下さい」と、心が至らなかったことを詫びるときに使ったものです。
今の世にもし草紙があったら、「はしたなきもの、乗り物にて化粧するをとめ子」とか、「屋内でも道中着を脱がずに食事する女たち」などと言いたくなるようです。
「道徳もマナーも、世相と共に移り変わる」と、英国人が言ったことが、またしても思い出されます。
B 端午の節句と自覚
風爽やかな五月は若葉の候、若い人の季節です。木も草も若緑。その緑色も芽生えたばかりの淡い色は「若苗色」と呼び、田に映す早苗の色を指します。五月ですから、緑、そして端午の節供に思いをはせましょう。「みどりご」と赤ちゃんのことをいうのは、も映ずる緑は生命力の象徴で、成長しようとする力を内部にもつから。
端午の節句は、子供が健やかに成長してほしいという祈り。男性なら、昔も今も、力強く頼りになる人になってほしいと、親たちの祈りです。
五月五日の節供は、各地に行事がありますが、京都の上賀茂神社では、競馬(くらべうま)の神事があります。11世紀ころから行われていたとのこと。 騎手は神社の社家の者、赤と黒の上着にリョウトウという打掛のような装束と冠で、一の鳥居内の芝生で競います。
東京国立博物館蔵の屏風にもある雅やかな競馬(くらべうま)です。
子どもの時から付き合っている親類の男の子が面影を残しながら、立派な大人になっている場合と、かわいらしい顔なのに大人として、もう一つ魅力のない男性になっている人。いずれも幼い日のくせは変わらないようです。男は容姿、服装、行動などは形而下のことです。人間として、純粋な精神の持ち主でないと信じられません。どういう男性を好きになるか、自分の行動や性格に相応な人に恋するのだと思えば、自分の内面が怖いとすら思われます。
時代は女性が仕事を持つのは普通ですが、終戦の頃、65年ほど以前の我が国は男性社会でした。戦時中に新聞記者となった私は、女性社員も少なく、女に何ができるかという男性の厳しい視線を感じる毎日でした。でも泣いたり辞めたりしては、「やっぱり女は」といわれるに違いないと耐えました。
父は染色の専門家で、とても躾の厳しい人でした。「好きな仕事なら続けられるが、その覚悟がなければ何も続きません。御嬢さん仕事の人は邪魔になるから、遊びで仕事場に近寄ってくれるな、本気で向かえば女でも使い物になります。仕事を好きになりなさい」。
着物や帯となる染色品を作っている京都では、すべてが手作業の分業です。
京友禅は二十数工程もありますし、帯や「御召」と呼ぶ着物地を織っている西陣では、複雑なした仕事が正しくできなければ、織物は完成しません。各自の技が集められて作品となるので、美しいものを作るという誇りが大きい支えとなってる産地です。
仕事の場では、一人の手抜きも許されず、技がjまずい人がいると美しいものが作れません。一人の手遅れは仕事がはかどらぬ原因となってしまいます。
こんなことはどの仕事でも、会社でもおなじ問題ではないかと思います。
現代はあらゆる分野で、女性の専門家が必要とされています。自分の仕事を好きになり、本物になる決意がなければならないのです。どんな小さなことでも悔いを残さぬよう、責任感強い女性というプライドが仕事にも表れると思います。
今日でも仕事の場によってはまだ「女だから」という目で見る人があるかもしれません。
男性の友人は、はじめは女友達としてみるのです。会話の内容、仕事への信念など、「志」が同じとわかるまで時間がかかります。
本当の友人としての会話があって本物の愛情も育まれるのではないでしょうか。
A 結 ぶ 手
「帯を結ぶ」ことは、以前は誰でも母の姿を見て育ち、少女になれば家で教えられました。
一人で着物を着て、自分の手で」帯を結ぶのも普通でした。
しかし、衣服は半世紀を過ぎると、代わってくるもので、活動的でない和服は晴れ着となって、日常は洋服ばかりです。今では若い人は晴れ着は美容室で着せてもらい、帯結びは習いにゆくというのが当たり前になっています。
男性たちは、ネクタイの結び方を、誰に教えてもらうのでしょうか。どのようにして覚えたのでしょうか。
「結び」の形を紅白の有平糖で表現する京都の菓匠を取材したことがありますが、結び方次第で雅やかに、目出たさや趣を見せることができるのは、熟練の技でした。
帯を結ぶことを習っても、帯締めの紐を結ぶのが難しいという人がいます。よく見ると組紐がよじれて平らかにならないようです。
「平たい打紐が自然に結ばれるようにしないで無理に引っ張り結ぶから、捩れてしまい美しい結び方ができないのでしょう、というよりないのです。
丸みを帯びた丸組紐は、多少は下手な結び方をしても、とにかく結び目はしっかりします。それで近年は、丸紐の方が若い人に好まれているらしいのです。でも丸紐にも節目はあるもので、やはり節目を通した結び方をしないと、ねじくれたり、捩れたりしている丸紐はきれいとは言えません。
帯揚げは振り袖姿の時には、配色良く、ふっくらと見せる絞り染めがよいのです。胸のふくらみと帯締めの中間にあって、胸を隠すようでありながら、若さを強調します。
総絞りの帯揚げは、結ばないで両端を打ち合わせて「入」の字に挟み込みます。その色使いはアクセントになります。
日本人は昔から、ものを結ぶのは上手であったはずなのに、近年は風呂敷を結ぶ手元さえおぼつかない若者が増えたように思います。
贈り物のリボンも自分の手で結ばないで、結びあげたリボン飾りをつけたり、売り場で代金さえ出せばラッピングしてくれるなどと手軽な方に向いてしまいます。
縁を結ぶ」のは、結びの神様の御心によるもの。自分の手で箱の紐を結ぶ時も、帯や小物を結ぶ時も、心をこめて結びたいものです。小さな紐結びから遠ざかって、不器用になった人の手は、この先何を修練することに向かうのでしょうか。
若い人でも、おけいこを熱心にした人の手元は美しいものです。そういう人に会うと「むすぼれ心」も晴れてきます。